平凡な社会人の日記

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偏差値45から大阪大学に合格した話

大阪大学理学部物理学科4年のさっちゃんです。(これは再掲です。fc2ブログからはてなブログに変えて見やすくなっただけで、内容は前回から増えていません。)
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「偏差値45から大阪大学に合格した話」

キャッチーなタイトルだが、ビリギャルやドラゴン桜のようなドラマティックなものではない。私が大学受験を意識し始めたのは高校1年の夏であり、さらに浪人もしたので結局3年半かかっている。平凡以下の私が人より長く大学受験して受かったというお話である。それでもこのような経験をした人は稀有だと思うので、全国の高校生、特に受験生の可能性を示すためにここに書いておく。これはいわゆる"合格体験記"であるが、合格体験記というのは生存バイアスの典型例であると思っているので、「こうすれば合格する」というものではないことだけ注意されたい。本稿は、今の偏差値・高校・環境を諦観している人に対して、こういう人もいるよという一つの道を示すものである。

高校について

私が通っていたのは、兵庫県伊丹市にある伊丹西高校という高校である。ここの出身者には野球選手や有村架純さんなどがいる。私が入学したときの高校の偏差値は45だった。(今は46。)
まずどのような人がこの高校に行くのかというと、公立高校に行けるかどうかも危うい人、評定平均でいうと私は数学が2で体育が4、他は3だった。例えばグラフの交点を求めるときには連立方程式を解けばいいということは入試3日前に理解した。
進路実績は2年に1度くらいの頻度で国公立大学(といっても島根や琉球など)が出たり、毎年数人が関西学院大学関西大学に行き、推薦で近畿大学にいったりして、大多数は大阪経済大学京都産業大学、そして就職したりといった感じである。ちなみに大阪大学は創立以来35年間で唯一かつ最高らしい。(関関同立は秀才、国公立大学は神扱い。)

高校時代

ここまで読むと、後に大阪大学に入る私はレベルを落として入学したのではないかと邪剣されるかもしれないが、高校に入学したときの私は平々凡々だった。一学期の最初のテストで350人中総合8位を取ったが、この高校で8位は例えば数学の平方完成ができれば取れる。しかし私は「8位?俺、天才では?」と思ってしまった。これが勉強を始めたきっかけである。
さらにテレビを見ていると「ガリレオ」というドラマがやっていた。これにより、中二病を引きずりまくっていた(今でも中二病)当時の私は「物理かっこいい!」というふわっとした信念(?)で物理のエッセンスという本で勉強を始めた。(ネットを見ているとこの本がいいと書いていた。)
しかし、分からない。何故か。それは、数学の基本的な式変形が分からないからである。指数法則も代入の仕方も、文字がいっぱいあって分からない。「なるほど、物理というのをやるためには数学を勉強しなければならないんだな。」ということに気づいた。それからというもの、部活終わり(引退までサッカー部)に毎日2,3時間、黄色チャートという本を解いていった。(ネットでこれがいいと書いていた。信頼できる情報源:2ちゃんねるまとめサイト
そうして勉強し始めて3ヶ月、1年生1学期の期末試験の結果が返ってきた。350人中総合64位。前回8位。今回64位。しかし私は思った。「やはり天才だったか‥。」数学の順位が350人中2位だった。数学の勉強しかしていないのだからその他は下がって当然であり、勉強した数学は伸びている。これは素晴らしいことだと当時の自分は感心した。

そして夏休みも黄色チャートと物理のエッセンスだけをひたすら解いていくと、9月の定期試験では両方1位になっていた。と同時に、大学受験についても意識し始めた。ガリレオがかっこいいから理学部物理学科に行こう、どうせなら一番むずかしいところに行こう。と思って東大を調べていると、なんと二次試験で国語がいるらしい。国語なんて勉強する気になれない。国語がないところで一番難しいところにしよう。ということで(家から近いということもあって)大阪大学を志望校にした。このときはあまりこだわっていなかったが、後に進路指導部と喧嘩するくらいに固執するようになっていった。
三者面談で「大阪大学に行きたい」と言うと、担任の先生に「ここがどういう高校だと思っているの?もっと現実的な進路を考えなさい」と言われた。中二病なので、「前例がなければ作ればいい」と本気で思っていた。

さらにこの時期、なにやら「模試」というものがあるらしいということを信頼できる情報源(まとめサイト)から知った。塾に行ったことのない(結局行かなかった)私は、模試というものがどういうものか知らなかったが、対外試合みたいなものだろうと思って先生に申し込んでもらった。こうして初めて「全統模試」という河合塾が主催の模試を受けてみた。すると、勉強していた数学はそこそこ解けたが、英語は何が書いているかもわからないしリスニングは寝ていたら終わった。こうして返ってきたE判定。しかし数学だけはできたので、脳天気な私はヘラヘラしながら勉強した。高校一年が終わる頃には数学・物理・化学では定期テストで1位をコンスタントに取れるようになった。周りが勉強しないのでさほど大変ではなかったし、全統模試の偏差値は52あたりをウロウロしていた。

二年生になると、理系になって黄色チャートを青チャートに変更した。(チャート式は白→黃→青→赤の順で難しくなっていく)これは黄色チャートが簡単ということではなく、信頼できる情報源(2ちゃんねる)に「理系なら黄色チャートじゃなくて青チャートじゃないとwww」と書かれていたからである。情報に踊らされる可愛そうな高校生である。とにかく、自分で目標(いつまでに何ができるべきか)を立てて計画し、実行して、模試を見て反省するというサイクルをひたすら繰り返した。二年生の終わりには校内偏差値は100を超えたが、全統模試では60くらいだったと思う。正確にはもう覚えていない。

三年生になると部活も引退したが、朝練の時間の7時には教室に入って、まだ引退していない三年生を横目に朝勉ということで、一人英文法を覚えたりしていた。疲れたら窓の外を見て練習している友達を見ては気合を入れていた。夏には好きな人と京都に遊びに行ったり星を見たりしたが、残念ながら三年間彼女ができることはなかった。

11月の阪大オープンという模試ではC判定だった。合格可能性40%だったが、初めて見たC判定に合格への手応えを感じていた。この頃になると、一年生のときの担任も含めて、学校全体が自分を応援してくれていた。体育の時間も先生が励ましてくれていたし、いろんな先生が「できることがあるなら言ってくれ」と言ってくれていた。

そしてセンター試験。いつも通りのE判定だった。進路指導部の先生に「お前な、今回は残念やけど、配点の関係で神戸大学なら行けるから。そっちにしなさい。」と言われた。私は「嫌です。僕の人生なので、僕が決めます。」と返した。ここで意見が合わなくて「お前はもっとクレバーなやつやと思ってたわ。」とも言われた。正直自分の中で葛藤があったが、どうしても大阪大学にこだわったのは運命的なものを感じていたのか、意固地になっていたのか‥。(多分後者。)結局担任の先生の「やりたいことをやり。」という言葉通り、大阪大学理学部物理学科を受験した。ここで合格していたらかっこよかったのだが。

自宅浪人&フリーター

結局全部落ちた。私立は行くお金が無いし、前期は落ちて後期の大阪市立大学(A判定だった)も計算ミスをして落ちた。
塾に行くお金もないので、自宅浪人することに。毎日図書館に通い、すき家に週7で通った。おろしポン酢牛丼を開発した人はノーベル平和賞だと思った。
そんな日々を続けていると、精神的に参ってしまった。話す人がいない。みんなは次のステージに進んでいるのに自分は一年間という短くない期間を受験勉強に使ってしまっている。精神的に不安定になると勉強が手に付かない。勉強をしなければ自分はニートだ。社会から孤立している。自由なはずなのに窮屈に感じる。焦燥感ばかりが募っていった。このままではいけないと思い、某タ○ーズコーヒーでバイトを始めた。バイトは時給は安いし自分の無能さに落ち落ち込むばかりだったが、人と話せることは幸せなことだった。相変わらず不安を抱え、ときには鬱病で体調を崩して倒れたり睡眠導入剤の量を増やしたり泣き喚きながら、少しづつ勉強していた。阪大模試で成績優秀者の冊子に載ったときは初めて報われた気がした。
センター試験ではやはりE判定だった。また高校の進路指導部の先生と面談すると、「今年は神戸も無理やわ。一年間なにしてたんや。」と言われたが、もはや迷いはなかった。二次試験に絶対の自信があった。これで落ちて中期・後期、さらにもう一年浪人または働くことになろうが、それもいいと思っていた。

受験を終えて

一日目(一般)が終わったとき、落ちたと思った。清々しい気持ちだった。しかし二日目(挑戦枠というやつ)の朝、駅から大学へ向かうとき、涙がポロポロとこぼれて止まらなかった。同じ高校の友達、他の高校の友達、家族、先生が応援してくれていた、そして何より自分が心から成し遂げたいと思ったことを成し遂げられなかった。悔しくて情けなくて、泣いて鼻水垂らしながら最寄りの蛍池駅から理学部棟まで歩いた。遠回りもしたが、会場につく頃には涙は止まっていた。挑戦枠は物理を3時間、第一問は特殊相対論への導入になっていて第二問は音速より速い風が吹く惑星での音の伝搬、第三問は大気の熱力学だった気がする。とにかく楽しかった。これをこの緊張感の中で受けられただけで報われた。それくらい楽しくて仕方がなかった。
結果的には一日目で合格していた。合格者70人(?)中30番くらいだった。なんとも言えない順位だが、とにかく合格した。合格したのを見たときは嬉しいよりも、自分なんかでいいのだろうか、他にも合格するべき人がいるんじゃないだろうかなどと考えていたが、高校に報告に行くといろんな先生に囲まれて嬉しかった。進路指導部の先生は土下座するし校長先生に「なにを頑張ったら大阪大学なんて行けるの?」と聞かれ、「うーん、バイトですね」と言ったら何故か握手を求められた。誤魔化された。

現在

以上がいわゆる「合格体験記」である。(勉強法など書いているとキリがない。)
大阪大学に入って、色んな人に会って様々な体験をした。実は最初の一年は劣等感に押しつぶされていて、口癖は「大学辞めたい」だったりもした。でも今はこの大学に入ってよかったと思っている。阪大の素晴らしいところを挙げようとすれば10個くらいは簡単に思いつきそうだ。と思ったが、今5つしか思いつかなかった。考えよう。疑問点や聞きたいことなどあればTwitterまで。



私の拙い文章をここまで読んでくださってありがとうございます。映画のようにスマートに合格したかったのですが、実際はここに書ききれないほど泣いて笑って泥臭い大学受験でした。現在の興味や活動も書いてたまに書いていきますので、また見に来てください。(こんな長い文章誰が見るんでしょうね。)

追記:こんなに多くの人に読んでもらえて感想をいただくとは思っていませんでした。回り道も話のネタになるのでいいもんですね。