平凡な社会人の日記

平凡な社会人の日記です。怠惰な毎日を送っております。

【報告】大学院を辞めて就職することにしました。

タイトル通り、大学院を辞めて就職することにしました。(本日11月27日は私の誕生日です。おめでとー。24歳になりました。)
経緯や思っていたことを書いておきます。
人生って不思議ですね。半年前はこんなことになるとは思ってませんでした。

自分について

さっちゃん(twitter: @toshiakisan1127)です。
Twitterでは、日々趣深いことを呟いています。

偏差値45くらいの高校を卒業してフリーター(自宅浪人)を一年した後、大阪大学理学部物理学科に入学、卒業して現在は大阪大学大学院の理学研究科M1で素粒子論をやろうとしてました。(残念ながら入門レベルにも達した気がしないし、立ってないのでしょうが。)

猫が好きで、趣味はTwitterで猫を集めることと、猫カフェに行くこと、一人カラオケ、読書、競技プログラミングAtCoder まだ茶色、緑はもうすぐ、水色は数年後?)です。
小中高とサッカーをしていたので、社会人になったら運動不足にならないように月1,2くらいでフットサルをやりたいと思ってます。

自宅浪人時代から2年弱カフェでアルバイトをして、今は塾講師4年目です。資格は運転免許(立派な国家資格!)くらいで、TOEIC受けたことないです。しかし就活で話すネタには困りませんでした。(就職活動でネタを探している方の参考には多分なりませんが、何を話したかは「就職について」で書きます。)

大学院を辞めることについて


一言で言うと社会に出たくなったからです。(明るい話ばかりではないのでどこまで言うか、書いている今も迷います。)

研究室が嫌になったわけではない。

決して、よくあるブラック研究室がどうこうとかではないです。むしろ私は研究室が大好きで、良い方ばかり(もちろん全員を知っているわけではないですが、少なくとも関わっている人は)ですし、就職について理由を述べたときも相談に乗っていただいたりしました。自分のために時間を割いていただいて恐縮でしたが「いつでもいいから何でも聞いてくれればいいし、困ったことがあれば言ってください。」と気さくに言っていただき感謝しています。

人生を再考した結果、就職を選んだだけ

自分の家は父親がおらず母が派遣で働いていたのですが、コロナウイルスの影響で職を失ってしまいました。ただ、去年介護士の資格を取っていた(50すぎてから学校に行って勉強する母すごい。)ので現在は介護士として働いています。そんな中でも、自分は大学と大学院は学費全額免除で通っていたし(正確には大学の入学金と一年生の授業料だけは自宅浪人時代のアルバイトの貯金で払いました)、アルバイトをしていて奨学金も借りているので生活が困窮するほどではなかったです。しかしながら、母の腰も悪くなってきてトイレを手伝うこともあったりしたので(現在は元気です。電子レンジの待ち時間は踊っています。僕も一緒に踊ってます。)、自分だけ、自分のために大学院にただ通っていていいのか、修士で出ることを決めていて何のために大学院に行くのかを見つめ直す日が増えてきました。(借金増やして若い時間を費やしてまでこれ以上行くべきか?とかね。)あとは単純に、働くならコード書くのも嫌いじゃないしwebアプリケーションとか1人で作れるようになりたいので、エンジニアが面白そうだなーと思っていて、それなら大学院行く必要ないよなーとかも思ってました。

結局就職することに決めましたが、別に物理が嫌いになったとか生活に困窮していち早く金が欲しいからとかではなく、「自分を見つめ直すきっかけができたから考えてみた結果就職してみることにした」という感じです。全然悲観的ではなくていくつかある選択肢の一つを取っただけですし、むしろ来年から始まる社会人生活にワクワクしています。(なので直接会った時に触れづらい話題とかではないよ!)

就職活動について

就職活動は案外楽しくやっていた

毎日「無い内定〜♪無い内定〜♪今日も元気に無い内定〜♪」って歌ってました。

就職先はもう決まっていて、東京にあるIT系の自社開発企業でエンジニアになります。(といっても何か作った経験はないので、最初は見習いです。ポテンシャル採用ありがたいです。配属は、機械学習エンジニアは楽しそうだなーと思いますが、PRMLすら読んでいるとイライラしてくる自分には無理かもしれません。いろんな世界を見て楽しそうなところに行きます。)

2022年卒業のつもりでインターンのために就職活動を始めたのが2020年4月で、21卒に切り替えて本選考に応募し始めたのが7月の始めごろだったように思います。そこから20社くらい応募して、8月の最後に一番好きな企業に内定をもらいました。10社くらい、中途採用しかやってないところに「入れろー」って応募してたりしました。決めるのは向こうなので最初から諦めなくてもいいだろって。迷惑な。

TOEICも受けたことないしWebテストの勉強も結局しませんでしたが、塾講師で中学数学はかなり詳しくなったので特に困りませんでした。面接で話すネタですが、自分は以下のようにたくさんあって(一つ一つは小さいですが)、履歴書に適当に散らしといて向こうが聞きたそうな話や話したいことを話してました。

  • 偏差値45の高校から独学で、創立以来初めて大阪大学に合格した話

偏差値45から大阪大学に合格した話 - 平凡な物理学徒の日記

  • 自宅浪人で鬱になったのでアルバイトを始めた話
  • 大学に入って周りの優秀さと自分を比べて劣等感まみれになって、一年生の時の口癖が「大学やめたい」だった話
  • 数物セミナーやKEKサマーチャレンジで、みんなで物理や数学と格闘した話
  • 大学構内で七輪でサンマ焼いたり焼肉してる話
  • 大学3年10月から始めた量子カオスの研究を根気よく続けていたら論文にできた話(修士1年の6月に雑誌の査読に通った!これが短い大学院生活で一番嬉しかった。)
  • 卒業論文宇宙論)の話
  • 塾講師の話 (手のかかる子っている?と聞かれたので、他人の学ぶ機会を邪魔する子どもは大体話が通じないので大変ですと言ったら微妙な反応をされました。)
  • 競技プログラミングの話(AtCoderのコンテストに毎週参加している話をすると好印象で、内定先にも競技プログラミング部があるみたいなので楽しみです!)
  • ブログの話(月大体1000viewくらい。)

他にもあった気がしますが忘れました。常に「この話を通じて自分のどういうところを見せたいか」を考えて、うまく答えられなかった質問はメモして自分を深く知るきっかけにしたり、案外楽しくやってました。
なんというか、いわゆる「バイトリーダー!ボランティア!」とかいう感じのことではなく、ただ自分がやってきたことをお喋りしていたので、就活こうした方がいいよ!みたいな一般化できることは分かりません。一人称も「私」にするとぎこちなくなるので「僕」を使ってましたし、エントリーシートの添削も鵜呑みにせずに最終的に自分がいいと思ったものを送りつけていました。(大学生が大学生のエントリーシートを添削をするって自分にはよく分からないが、書いた文章を客観的に見てもらえるのはありがたいのでそういうサービスは使っていた。)

内定先は楽しそうなところだが、大人の話を信じてはいけない。

内定先については、オンラインで懇親会をやったり技術を共有する勉強会にも参加しましたが、意見が言いやすい良い感じのゆるさがあってすごい好きです。内定者懇親会でも髪色がピンクの人がいたりして「自由だなー」と思いました。と思ったら京大の人も何人かいたり、大学院出身の方もかなり多くてびっくりしました。働いてからも個人での勉強時間確保のために残業がすくないと言ってましたが、社会人の言うことは信用ならんので話半分で聞いてます。こちらとしては修行だと思っているのである程度の残業は一向にかまいませんが。給与は一年目・二年目としては満足しています。(初任給30何万とかではない。できれば月5000兆円ほしいです。)あと、大学院中退者が社内に割といて面白かったです。

お気持ち表明

『東京の家賃高すぎん?』
『猫可愛い。』

ひたすらに周りの人に恵まれたなーと思います。友達と教員の方々とバイト先の方々に相談に乗ってもらいましたが、理由もなく反対する人はいませんでした。母は寂しそうでしたが、兄がいるので数年は我慢してもらいます。

今は競技プログラミングで遊びつつ、引越しの初期費用のためにバイトしまくったり、会社に入ってついていけるように基本情報やSQL、Gitの本とか読みあさってます。なにかおすすめの本とか分野があれば教えていただきたいです。

健康第一に、適当にがんばりまーす。

大阪の方々、お茶会しましょう〜!

東京の方々、2月末ごろに家を探しにいきますので遊びましょう。浅草というところに行きたいです。

何年目くらいから猫と暮らせるんですかねー。