平凡な社会人の日記

平凡な社会人の日記です。怠惰な毎日を送っております。

色って何?〜空は青いし夕日は赤いし、腹は黒い。〜

本稿の目的:色とは何かを知る。
本稿の対象者:中学生、高校生、大学生、社会人一般(最初に述べる結論が分かる人には既知のことです。)

結論

色とは、光の波長領域に名前をつけたものである。また、我々が見る物体の色は、その物体が吸収する色の補色である。

keywords:色、光、波長、補色

導入

空は青い。夕日は赤い。(腹が黒い人もいるが、それはまた別のお話。)身の回りの物を見渡してみると、我々の世界は実に様々な色に満ちている。私は赤系の色覚異常を持っているが、それでもこの世界は色とりどりの美しさをまざまざと見せつけてくれる。我々は色によって心を動かされすらする。私は淡い青と淡い赤が好きで、身の回りの物はこの2色が多い。これを書いている今も私の靴の赤は、2年の月日を思わせるような、老いた赤い色をしている。

ところで、赤色はなぜ赤色なのだろう。「現象には必ず理由がある。」と「ガリレオ」で福山雅治さんが言っていたように、赤色を赤色たらしめる要因があるはずである。本稿では、まず色とは何か、次にそれぞれの色がその色である理由について見ていこう。

色とは何か

色と光は関係がありそうな気がする

色というのを、私も、そしておそらく色覚異常を持たない皆さんは私よりよく知っているだろう。赤とか、青とか、そういうやつだ。ところで、色と光は何か関係しそうな気がする。例えば虹というのは、太陽の光が空気中の水蒸気によって屈折されるときに、色ごとに屈折の角度が違うことにより生じる現象である。また、りんごは赤いらしいが、ブラックライトを当てると青くなりそうだ。

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皆さんりんごって知ってます?私は知ってますよ。

光ってなんだ?

ここで、色と光の関係について述べる前に、光について知っておこう。光は、電磁波という「」である。(もちろん理系の皆さんは光が波でも粒でもある「量子」であることは知っているのだが、我々の生活のスケールでは光は波として振る舞う。)光の例としては、スマートフォンWi-Fiから出る電磁波も光である。この例からもわかるように、電磁波(光)というのは、常に見えるものではない。しかし見える光というものがあって、これを可視光という。可視光は波長(光の波の長さ、下図)でいうと、380\sim780{\rm nm} 程度である( 1{\rm nm}=10^{-9}{\rm m}{\rm nm}ナノメートル)。

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波長の定義。波の長さをこのように決める。[1]

これが長いのか短いのかはさておき、大事なことは、光は波であるということ、そして可視光というものがあって、人間は全ての波長(波の長さ)の光を認識できるわけではないということである。

色とは何か

では色とは何か、光と色の関係を見てみよう。色とは、目に入ってくる光の波長に名前をつけたものである。どういうことか。実は我々が赤と認識する色には、それに対応する光の波長の領域がある。青も黄色も、同様に対応する光の波長領域が存在する。(下図参照)

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色には、それぞれ対応する光の波長領域がある。[2]

結局、色とは、可視光領域の光(目で見える範囲にある波長をもつ光)に名前をつけたものである。

赤色のものは何故赤色に見えるのか

なるほど、「色とは、光の波長(波の長さ)に名前をつけたものであり、各色にはそれぞれ対応する光の波長の領域がある」ことを知った。素晴らしいことだ。では赤色に見えているあの丸くてシャリッとしたやつは、赤色の光(波長にして700{\rm nm}くらい)を出していて、それが我々の目に入っているから赤く見えるのか?

いや、そうではない。太陽が白く見えるのは太陽が光っているからであるが、りんごが赤く見えるのはりんごが赤く光っているからではない。(光るりんごがあれば別。)りんごが赤いのは、りんごが光源(光ってるやつ、太陽とか電球とか)から出た光を反射して、その反射された光が我々の目に入るときに、赤色の波長をもつ光が「相対的に強く」残っているからである。ところで、「相対的に強く」という言葉を使ったが、何と比べて赤色の光の成分が強いのだろうか。
ここで補色という概念を導入する。補色とは、大雑把に言うと「反対の色」である。(下図参照)

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補色の概念。この輪っかは色相環というやつ。[3]

りんごが赤い理由は、りんごが赤い光を出しているのではなく、りんごが赤の補色である色(青緑)を吸収するため、我々の目には青緑よりも赤の成分が強くなって赤く見えるのである。つまり物体の色がその色たる理由は、その色の補色を物体が吸収するからである。

まとめ

「色とは光の波長領域に名前をつけたものであり、我々が見る物体の色は、その物体が吸収する色の補色である。」
今回の内容は、冒頭に結論として載せたこの一文に全て詰まっているので、これが理解できれば素晴らしいことである。これから、例えば綺麗な紅葉を眺めたときには「この赤々とした葉っぱたちは補色である青緑に対応する波長の光を吸収しているんだな。」と思ったり、例えば深い緑を有した葉を見るときに「この葉は緑の補色である赤紫を吸収しているから緑なんだな〜。たのしぃぃ」と思えたら、それもまた面白い。(あまり言い過ぎると嫌がられる場合があります。炎色反応を長々と説明する理系男子のように。)

余談

本稿では、「色とは何か、物体の色と補色の関係」について紹介しました。ここでさらに面白い話として、
①物体はどのようにして光を吸収するか
②見えない色を「見る」
③空は何故青いのか、夕日は何故赤いのか
というお話があります。①は量子力学、化学を用いて説明されたりします。②は可視光領域にない光を、肉眼ではなく機械を通してみようというお話で、X線天文学などに応用されています。③は、実は電磁気学のなかなか進んだ話です。これらについては今後まとめます。
Reference
[1] www.konicaminolta.jp
[2]www.my-craft.jp
[3]
http://simplemodern-interior.jp/overseas-interior/反対色インテリア/

物理学ってなに?

物理学って何?
本稿の目的:物理学とはどういう学問なのかを知る
本稿の対象者:物理学に触れたことがない人、高校で物理を習ったが何をやりたいのか分からなかった人(大学で力学などの物理の最初を学んだ方々には退屈な内容かもしれません。)

導入

私の所属は大阪大学理学部物理学科である。学科の名前としては比較的シンプルかつ何をやっているか分かりやすい。その名の通り、物理をやっているのである。しかし一言に物理と言ってもそのカバーする範囲は幅広く、物質の最小の構成単位の世界(素粒子物理学 10^{-15}{\rm m}程度)もいれば、我々と同じようなスケールの物理(物性物理学)もあるし、はたまた銀河全体、宇宙という入れ物に思いを馳せて計算している人達もいる。先日発見された超質量ブラックホール (super massive black-hole)の質量は、太陽の10^9倍程度、周りのガスの温度は10^9℃程度。もうめっちゃ重いしめっちゃアッチッチということしか分からん。

物理学とは何か

さて、非常に多岐にわたる「物理学」とは何者なのだろう。下手の考え休むに似たり、Wikipedia先生に聞いてみよう。「Physics Wiki 」(ちなみに、Wikipediaは英語版の方が丁寧で優しい。難しいと「この記事は難しすぎます。誰か書き換えてください」という注意書きを見るくらい親切。)

Physics is the natural science that studies matters, its motion, and behavior through space and time, and that studies the related entities of energy and force. Physics is one of the most fundamental scientific disciplines, and its main goal is to understand how the universe behaves.


だ、そうです。うーん、最初の方はちょっと古い物理学な気がする。私が大学に入って身につけた物理学とは何かに対する回答としては、「自然を統一的に理解し、自然を制御する」ことである。例を挙げると、星が輝くのは何故か、りんごは落ちるのに月が落ちてこないのは何故か、雨上がりに虹がかかるのは何故か、色とはなにか、我々を構成している最小の構成単位は何か、宇宙に端っこはあるのか、etc. このような問に対して回答を与えようという学問が物理学である。当たり前のように思っていたこの世界も、ふと立ち止まって「常識・当たり前のサングラス」を外してあたりを見渡せば、自然は謎に満ちているのである。これらを数学や論理という武器を持って立ち向かい(ときには論理を飛躍させて)、その根底にある普遍的な原理を見出して、自然を統一的に理解していく。そういう営みが物理学なのだろうと思っている。(答えだと思ったらゴミを掴んでいたことの方が多い。)

物理学の目指すところ

Wikipediaの続きを見てみると、こんなことが書いてある。

Advances in physics often enable advances in new technologies. For example, advances in the understanding of electromagnetism and nuclear physics led directly to the development of new products that have dramatically transformed modern-day society, such as television, computers, domestic appliances, and nuclear weapons; advances in thermodynamics led to the development of industrialization, and advances in mechanics inspired the development of calculus.

書いてある通り、物理学の発展はテクノロジーの発展を促すのだ。ここに「自然を制御する」という物理学の目的の一つがある。(もちろん物理学は自然を理解すること自体も目的とする。)1905年にアインシュタイン光電効果(後にノーベル賞)の発見に端を発した「量子力学」という、小さな世界を記述する物理学の発展は、半導体MRI (Magnetic Resonance Imaging 病院でゴウンゴウン言いながら体を輪切りにするやつ)へと繋がった。このように、最初は役に立ちそうもない研究から我々の生活に馴染むようになったものは各所に見られる。物理学は自然を理解し、次第に制御して自然を我々の生活に取り入れていくのだ。

物理学は実験科学

はたから見ると、物理と数学は同じように見える。(生物はよくわからない、地学も知らないので物理学に含まれるものとする。)物理も数学も数式を扱っているし、なにやら難しそうなことばかり並べてウンウン唸っている。しかし、物理学と数学には決定論的な違いがあり、それは「物理学は実験科学だ」ということである。つまり物理学における理論の正否は実験によって決定され、実験を説明できないような理論や何か予言してそれが実験にそぐわない場合は、それがどんなにもっともらしくても、その理論は「死ぬ」。(最近も実験精度の向上に伴って有力だと思われていた理論はどんどん死んでいっている。)現在残っている理論(高校で習った力学や熱力学、電磁気学、そして量子力学や相対論なども含めて)というのは、様々な「実験」というふるいにかけられても残った「今のところ正しそうな」理論である。(もちろんコペルニクス的な展開がないわけではないが、まあ今のところほとんどの現象に説明を与えることに成功している。)

まとめ

物理学とは、「自然を統一的に理解し、自然を制御する」営みである。また、その正否は実験によってのみ決定される。
自然は不思議なことで満ち溢れている。ひとたび「なぜ?」と思ったが最後、分からないことはどんどん増えていく。私も分からないことばかりであり、人類も分からないことばかりである。しかし、その一つ一つに対してノロノロとでも正しい理解をしていくと、いつの間にか世の中が輝いて見えるのは、物理学というメガネを手に入れた者だけの特権かもしれない。

余談

より詳しく知りたければ、藤原邦男さんの「物理学序論としての力学」の最初の方に歴史や物理学の考え方が載っていたので、誰でも読める物として面白いです。15分もあれば読めます。相対性理論(特殊)や量子力学に興味があれば、ジョージ・ガモフさんの「不思議宇宙のトムキンス」が読み物としておすすめです。(中古は安いし。)

また、バーチャルYoutuberの宇宙物理たんbotさんがすごくわかりやすく、情熱的に物理の面白さを伝えているのでオススメします。
最後に、このような記事を無知な私が書くのは非常に恐縮なので、コメント等があればおねがいします。


物理学序論としての力学
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不思議宇宙のトムキンス
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宇宙物理たんbotさん
youtu.be

100日先の天気、知りたくない?

本稿の目的:天気を予測することの難しさがどこにあるかを知る、それと同時にカオスとは何かを大雑把に知る
本稿の対象者:大学生、社会人一般 (カオスについて既にご存知の方には退屈な内容です。ちゃんとしたカオスのお話は別の記事に書きます)

導入

高校生の時、勇気を振り絞って好きな人を京都に遊びに誘った甘酸っぱい思い出がある。結果的には綿密な計画もグダグダになるし、バスの券は落とすし汗びっしょりになるしでヒジョーにかっこ悪かったのだが、そんな話はどうでもいい。誘ってから気になっていたことの一つが、当日の天気である。高校生の私は賢いので、てるてる坊主などというティッシュの無駄遣いはせず、テレビの天気予報を食い入るように見ていた。しかし、天気予報とはどこを見ても1週間程度しか載っていない。何故だ。私は当日の天気が知りたいのに〜。

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10日間の天気予報。100日というのは見たことがない。[1]

keyword: 天気予報、決定論的、カオス、初期値鋭敏性

100日先の天気は決まっている、しかし知ることはできない。

100日先の天気はなぜ天気予報に載っていないのか。それは、知ることができないからである。もっと言うと、「100日先の天気は決まっているが、人間には知ることができない。」

なるほど、誰も知らないなら天気予報に載っていないのも当然だ。しかし、決まっているのに知ることができないとはどういうことだろう?ここで言う、「決まっている」とはどういうことだろうか?また、何故「決まっている」ものを知ることができないのだろうか。

決定論的、非決定論的とは

「100日先の天気は決まっているが、人間には知ることができない。」

ここで言う「決まっている」とは、「ある物体(例えばボールを斜めに投げるときを想像してもらいたい。)の初期条件(ボールの場合だと投げるときの投げるときの自分の場所、向き、速さ)を決めれば、その後の運動は運動方程式(なんか物理の式)によって完全に予測できる」ということを言う。まあなんとなく、斜めに投げたら放物線を描いて地面に落ちそうなもんである。そのボールに空気抵抗や回転を加えても、(手で計算できるかどうかはともかく)我々は完全にその後の運動を、原理的には予測できる。これを決定論的であるという。ところで、天気予報も決定論的であることが知られている。すなわち天気予報は現在の天気さえわかれば、あとは運動方程式にしたがって動いていくだけである。

逆に、「初期条件を与えても、その後の運動を原理的に予測できない」ものを非決定論的という。これは理系の学生が大好きな「量子力学」という物理の領域で顔を見せるのだが、これについてはまた今度。

初期値鋭敏性(バタフライエフェクト)

なるほど、天気というのは決定論的(今の天気が完全に分かればその後の天気は完全に予測できる)らしいから、100日先の天気というのは決まっているのだ。ならば後は運動方程式とやらをパソコンさんに計算させれば100日先と言わず、未来永劫の天気を計算してもらえばいいじゃないか。コンピュータはついに「あまたつ!」の仕事も奪ってしまったのだ。

しかし、そううまくは行かない。それは天気を予測するというのは、いわゆる「カオス」の一種であるからだ。カオスの定義はここではしないが、その特徴の一つに「初期値鋭敏性」というものがある。次のような話を聞いたことがある人がいるかも知れない。「赤道付近で蝶が起こした小さなそよ風が、成長してアメリカでハリケーンを起こす」という類のお話である。これはバタフライエフェクトといって、小さな初期条件の誤差が時間とともに急激に大きくなっていくという、カオスの特徴をよく顕したお話である。天気の予測に話を戻すと、我々はコンピュータで計算する際に初期条件を入力しなければならない。しかしコンピュータはある精度までしか計算できないので、通常では気にすることのないような極微のエラーを生じる。(例えば1.000001を1.000000として計算したり。)この極微のエラーが時間とともに大きな誤差を生じさせ、結果として長時間の予測を困難にするのである。これが、「人間には知ることができない」の意味するところである。

まとめ

「100日先の天気は決まっている、しかし知ることができない。」の意味するところは、「天気予報は決定論的なので100日先の天気は原理的には決まっているが、カオスの初期値鋭敏性という特徴により、ある程度の時間までしか計算できない」ということである。天気を予測するというのはこういう難しさがあるんですね。

今回は定義や定量的な話はしませんでしたが、カオスの定義やその判定(ポアンカレ断面)、定量性(リアプノフ指数)についてはストロガッツさんの「非線形ダイナミクスとカオス」などがおすすめです。
(これを読んだ人へ:よくわからない言葉遣いや、物理を知らない人にとって未定義の言葉、間違いがあれば修正するので教えていただけたら幸いです。今後見やすくなります。)
また、現在の天気予測の方法などに興味があれば、以下のReferenceを参考にしてください。

偏差値45から大阪大学に合格した話

大阪大学理学部物理学科4年のさっちゃんです。(これは再掲です。fc2ブログからはてなブログに変えて見やすくなっただけで、内容は前回から増えていません。)
Contents

「偏差値45から大阪大学に合格した話」

キャッチーなタイトルだが、ビリギャルやドラゴン桜のようなドラマティックなものではない。私が大学受験を意識し始めたのは高校1年の夏であり、さらに浪人もしたので結局3年半かかっている。平凡以下の私が人より長く大学受験して受かったというお話である。それでもこのような経験をした人は稀有だと思うので、全国の高校生、特に受験生の可能性を示すためにここに書いておく。これはいわゆる"合格体験記"であるが、合格体験記というのは生存バイアスの典型例であると思っているので、「こうすれば合格する」というものではないことだけ注意されたい。本稿は、今の偏差値・高校・環境を諦観している人に対して、こういう人もいるよという一つの道を示すものである。

高校について

私が通っていたのは、兵庫県伊丹市にある伊丹西高校という高校である。ここの出身者には野球選手や有村架純さんなどがいる。私が入学したときの高校の偏差値は45だった。(今は46。)
まずどのような人がこの高校に行くのかというと、公立高校に行けるかどうかも危うい人、評定平均でいうと私は数学が2で体育が4、他は3だった。例えばグラフの交点を求めるときには連立方程式を解けばいいということは入試3日前に理解した。
進路実績は2年に1度くらいの頻度で国公立大学(といっても島根や琉球など)が出たり、毎年数人が関西学院大学関西大学に行き、推薦で近畿大学にいったりして、大多数は大阪経済大学京都産業大学、そして就職したりといった感じである。ちなみに大阪大学は創立以来35年間で唯一かつ最高らしい。(関関同立は秀才、国公立大学は神扱い。)

高校時代

ここまで読むと、後に大阪大学に入る私はレベルを落として入学したのではないかと邪剣されるかもしれないが、高校に入学したときの私は平々凡々だった。一学期の最初のテストで350人中総合8位を取ったが、この高校で8位は例えば数学の平方完成ができれば取れる。しかし私は「8位?俺、天才では?」と思ってしまった。これが勉強を始めたきっかけである。
さらにテレビを見ていると「ガリレオ」というドラマがやっていた。これにより、中二病を引きずりまくっていた(今でも中二病)当時の私は「物理かっこいい!」というふわっとした信念(?)で物理のエッセンスという本で勉強を始めた。(ネットを見ているとこの本がいいと書いていた。)
しかし、分からない。何故か。それは、数学の基本的な式変形が分からないからである。指数法則も代入の仕方も、文字がいっぱいあって分からない。「なるほど、物理というのをやるためには数学を勉強しなければならないんだな。」ということに気づいた。それからというもの、部活終わり(引退までサッカー部)に毎日2,3時間、黄色チャートという本を解いていった。(ネットでこれがいいと書いていた。信頼できる情報源:2ちゃんねるまとめサイト
そうして勉強し始めて3ヶ月、1年生1学期の期末試験の結果が返ってきた。350人中総合64位。前回8位。今回64位。しかし私は思った。「やはり天才だったか‥。」数学の順位が350人中2位だった。数学の勉強しかしていないのだからその他は下がって当然であり、勉強した数学は伸びている。これは素晴らしいことだと当時の自分は感心した。

そして夏休みも黄色チャートと物理のエッセンスだけをひたすら解いていくと、9月の定期試験では両方1位になっていた。と同時に、大学受験についても意識し始めた。ガリレオがかっこいいから理学部物理学科に行こう、どうせなら一番むずかしいところに行こう。と思って東大を調べていると、なんと二次試験で国語がいるらしい。国語なんて勉強する気になれない。国語がないところで一番難しいところにしよう。ということで(家から近いということもあって)大阪大学を志望校にした。このときはあまりこだわっていなかったが、後に進路指導部と喧嘩するくらいに固執するようになっていった。
三者面談で「大阪大学に行きたい」と言うと、担任の先生に「ここがどういう高校だと思っているの?もっと現実的な進路を考えなさい」と言われた。中二病なので、「前例がなければ作ればいい」と本気で思っていた。

さらにこの時期、なにやら「模試」というものがあるらしいということを信頼できる情報源(まとめサイト)から知った。塾に行ったことのない(結局行かなかった)私は、模試というものがどういうものか知らなかったが、対外試合みたいなものだろうと思って先生に申し込んでもらった。こうして初めて「全統模試」という河合塾が主催の模試を受けてみた。すると、勉強していた数学はそこそこ解けたが、英語は何が書いているかもわからないしリスニングは寝ていたら終わった。こうして返ってきたE判定。しかし数学だけはできたので、脳天気な私はヘラヘラしながら勉強した。高校一年が終わる頃には数学・物理・化学では定期テストで1位をコンスタントに取れるようになった。周りが勉強しないのでさほど大変ではなかったし、全統模試の偏差値は52あたりをウロウロしていた。

二年生になると、理系になって黄色チャートを青チャートに変更した。(チャート式は白→黃→青→赤の順で難しくなっていく)これは黄色チャートが簡単ということではなく、信頼できる情報源(2ちゃんねる)に「理系なら黄色チャートじゃなくて青チャートじゃないとwww」と書かれていたからである。情報に踊らされる可愛そうな高校生である。とにかく、自分で目標(いつまでに何ができるべきか)を立てて計画し、実行して、模試を見て反省するというサイクルをひたすら繰り返した。二年生の終わりには校内偏差値は100を超えたが、全統模試では60くらいだったと思う。正確にはもう覚えていない。

三年生になると部活も引退したが、朝練の時間の7時には教室に入って、まだ引退していない三年生を横目に朝勉ということで、一人英文法を覚えたりしていた。疲れたら窓の外を見て練習している友達を見ては気合を入れていた。夏には好きな人と京都に遊びに行ったり星を見たりしたが、残念ながら三年間彼女ができることはなかった。

11月の阪大オープンという模試ではC判定だった。合格可能性40%だったが、初めて見たC判定に合格への手応えを感じていた。この頃になると、一年生のときの担任も含めて、学校全体が自分を応援してくれていた。体育の時間も先生が励ましてくれていたし、いろんな先生が「できることがあるなら言ってくれ」と言ってくれていた。

そしてセンター試験。いつも通りのE判定だった。進路指導部の先生に「お前な、今回は残念やけど、配点の関係で神戸大学なら行けるから。そっちにしなさい。」と言われた。私は「嫌です。僕の人生なので、僕が決めます。」と返した。ここで意見が合わなくて「お前はもっとクレバーなやつやと思ってたわ。」とも言われた。正直自分の中で葛藤があったが、どうしても大阪大学にこだわったのは運命的なものを感じていたのか、意固地になっていたのか‥。(多分後者。)結局担任の先生の「やりたいことをやり。」という言葉通り、大阪大学理学部物理学科を受験した。ここで合格していたらかっこよかったのだが。

自宅浪人&フリーター

結局全部落ちた。私立は行くお金が無いし、前期は落ちて後期の大阪市立大学(A判定だった)も計算ミスをして落ちた。
塾に行くお金もないので、自宅浪人することに。毎日図書館に通い、すき家に週7で通った。おろしポン酢牛丼を開発した人はノーベル平和賞だと思った。
そんな日々を続けていると、精神的に参ってしまった。話す人がいない。みんなは次のステージに進んでいるのに自分は一年間という短くない期間を受験勉強に使ってしまっている。精神的に不安定になると勉強が手に付かない。勉強をしなければ自分はニートだ。社会から孤立している。自由なはずなのに窮屈に感じる。焦燥感ばかりが募っていった。このままではいけないと思い、某タ○ーズコーヒーでバイトを始めた。バイトは時給は安いし自分の無能さに落ち落ち込むばかりだったが、人と話せることは幸せなことだった。相変わらず不安を抱え、ときには鬱病で体調を崩して倒れたり睡眠導入剤の量を増やしたり泣き喚きながら、少しづつ勉強していた。阪大模試で成績優秀者の冊子に載ったときは初めて報われた気がした。
センター試験ではやはりE判定だった。また高校の進路指導部の先生と面談すると、「今年は神戸も無理やわ。一年間なにしてたんや。」と言われたが、もはや迷いはなかった。二次試験に絶対の自信があった。これで落ちて中期・後期、さらにもう一年浪人または働くことになろうが、それもいいと思っていた。

受験を終えて

一日目(一般)が終わったとき、落ちたと思った。清々しい気持ちだった。しかし二日目(挑戦枠というやつ)の朝、駅から大学へ向かうとき、涙がポロポロとこぼれて止まらなかった。同じ高校の友達、他の高校の友達、家族、先生が応援してくれていた、そして何より自分が心から成し遂げたいと思ったことを成し遂げられなかった。悔しくて情けなくて、泣いて鼻水垂らしながら最寄りの蛍池駅から理学部棟まで歩いた。遠回りもしたが、会場につく頃には涙は止まっていた。挑戦枠は物理を3時間、第一問は特殊相対論への導入になっていて第二問は音速より速い風が吹く惑星での音の伝搬、第三問は大気の熱力学だった気がする。とにかく楽しかった。これをこの緊張感の中で受けられただけで報われた。それくらい楽しくて仕方がなかった。
結果的には一日目で合格していた。合格者70人(?)中30番くらいだった。なんとも言えない順位だが、とにかく合格した。合格したのを見たときは嬉しいよりも、自分なんかでいいのだろうか、他にも合格するべき人がいるんじゃないだろうかなどと考えていたが、高校に報告に行くといろんな先生に囲まれて嬉しかった。進路指導部の先生は土下座するし校長先生に「なにを頑張ったら大阪大学なんて行けるの?」と聞かれ、「うーん、バイトですね」と言ったら何故か握手を求められた。誤魔化された。

現在

以上がいわゆる「合格体験記」である。(勉強法など書いているとキリがない。)
大阪大学に入って、色んな人に会って様々な体験をした。実は最初の一年は劣等感に押しつぶされていて、口癖は「大学辞めたい」だったりもした。でも今はこの大学に入ってよかったと思っている。阪大の素晴らしいところを挙げようとすれば10個くらいは簡単に思いつきそうだ。と思ったが、今5つしか思いつかなかった。考えよう。疑問点や聞きたいことなどあればTwitterまで。



私の拙い文章をここまで読んでくださってありがとうございます。映画のようにスマートに合格したかったのですが、実際はここに書ききれないほど泣いて笑って泥臭い大学受験でした。現在の興味や活動も書いてたまに書いていきますので、また見に来てください。(こんな長い文章誰が見るんでしょうね。)

追記:こんなに多くの人に読んでもらえて感想をいただくとは思っていませんでした。回り道も話のネタになるのでいいもんですね。

ブログを移転しました。(再掲)

はてなブログのほうが見やすいので、ブログを移転しました。

元のブログ:
physicsnitijou.blog.fc2.com

試しに去年の7月19日の記事をそのまま載せて、どんな感じに表記されるのかを見てみます。
数式とか載せられたら良いんだけどね。

 \int_{-\infty}^\infty dx |\phi(x)|^2=1

できた。

 \left|\psi\right> \ket{\psi}

*以下再掲

日記について

勉強のことを整理したいのでブログというものを始めてみたが、どうも勝手が分からない。
こういうのは自己紹介から始めた方がいいのだろうけれど、特に誰に見せるものでもないので気が向けばしようと思う。

さて、これから日記をつけようというのだが、生来飽き性のためすぐに辞めてしまうだろう。
今は深夜に書いているので手も動くが、朝になればああ面倒だと思っているに違いない。

そもそもこれであっているのかも分からないが、あまり期待せず手探りでやっていこうと思う。

2018年7月19日の日記

講義をさぼって昼に起き、電車の中で朝長さんの「量子力学と私」を読んでいた。大学についてからは物性のお勉強をした。といっても量子多体系をいかに記述するかというお話で、波動関数(Slater行列式)を用いたものと場の理論で定式化したものが同じであることを見た。今は、場の理論で書いた方が直感的にわかりやすいくらいにしか思えないのだが、これから嬉しいことがあるのだろうと期待する。それからはずっと、期末試験にむけて誰かから回ってきた過去問を解き、その解答をTeXで作成していたら一日が終わってしまった。怠け者には一日は短い。そういえば今度摂動論のセミナーを開催しようという話になっているが、まだ原稿に全く手を付けていない。なんとか土日で8割程度は完成させたい。

Twitter神戸大学の4年生の人がループの計算(?)をやっているのを見る。頭の悪い私にはさっぱり分からない。ああいう人が素粒子論の研究室に行くべきなのであって、私のようなミーハーが行くところではないと改めて思った。

いきなりこんなに書いたところで、必ずこの日記は頓挫すると確信した。しかしこれには目的もないのでどうでもいいことである。